about me

「ディスイズアペン」


英語と言ったら、当時、日本の幼馴染との間で流行っていた。

意味も分からず、おもしろおかしく真似をしていた。


そんな私が、アメリカで暮らすことになるなんて、誰も想像していなかっただろう。

英語知識マイナスの私が渡米してから、30年以上が経過する。


現地校の初日、心臓が飛び出るんじゃないかと本気で思ったくらい、緊張していた。

母が用意してくれた朝食も喉を通らず、ただただ不安で胸が張り裂けそうだった。


現地校で日本語が通じるのは、弟だけ。

アジア人は誰もいない学校で、周りは、外見も言葉も全然違う「アメリカ人」だらけ。


石の上にも三年、とはよく言ったもので、本当の意味で慣れるまで、3年は必要だったと思う。

初めの頃は、毎日、現地校に行くのが嫌で嫌で堪らなかった。


母に「学校はどう?」と聞かれると、

ひきつった笑顔で「大丈夫!」と健気に応えていたのを思い出す。


あの頃の私は、人種差別という言葉も知らなかったけれど、

外見的なことでからかわれることは日常茶飯事。

Flat Face(平たい顔)と呼ばれたこともあったっけ。

全く響いていない振りをしていた。

というか、気にならなくなった。


1人でポツンとしている私を気に掛けてくれる優しい子達もいた。

誰かに声を掛けてもらえるだけで、一瞬心が救われた。

ESLクラスが唯一の憩いの場だったなぁ。

その時間を心待ちにしていたのを今も鮮明に覚えている。


家では喧嘩相手の弟でも、時々、学校の廊下ですれ違うとホッとした。

土曜日に日本語補習校に通い始めてからは、補習校が生き甲斐になった。

似たような境遇を分かち合える日本人の友達は、大切な仲間、心の友だった。


そして―


時間の流れと共に、

現地校の友達と一緒に過ごす時間が楽しくなってきた。


現地校が好きになってきたのは、

英語が好きになってきたことと比例していると思う。


気付いたら、現地化していて、

気付いたら、まだここにいる。


あれから、30年以上―


生まれも育ちもアメリカの息子たちが日系2世としてがんばっている。

アメリカでアジア系アメリカンとして生きて行くのは、決して順風満帆ではない。


でも―


日本人のDNAを受け継ぐアジ系アメリカンとして、オンリーワンの人として、

誇りを持ち、自信を持ち、逞しく勇敢に生きて欲しいと母は切に願う。


大丈夫!


本当に、大丈夫!


人生一切無駄なし!


全て上手く行くからね!


Pennsylvania State University (University Park)

 産業組織心理学 学士号

New York University

 人材組織開発心理学 修士課程

Columbia University (Teachers College)

 英語教師資格(TOEFLなどのテスト指導資格も含む)


~2008年 日系企業勤務。人事部人材組織開発&企画、コミュニケーション担当

2009年~ 当時1歳の次男が病弱だった為、退職しフルタイムペアレントに転身

2011年~ Serendipity in the Third Culture英語&アメリカ文化講師として本格始動

2012年~ 公立学校ESLプログラムサポート(日本人&他国の生徒)

2013年~ 異文化コミュケ―ションコンサルタントとして企業向けセミナー開始

     学生向け英作文指導&サポート開始


2014年~  体調を崩し、一旦休憩

2017年~  Healing through Learningにネーム変更し、再活動スタート

     日本の大手企業DMM社の「英語でなんてUknow?」のアンカー

     DMMオンライン英会話「英語ブログ」ライターとして寄稿

2018年~  Healing through Learningを本格始動。

     大人の英会話、英文サポート

     小中高生の現地校サポート

     翻訳サポート

     DMMオンライン英会話新規講師トレーナー就任

2019年~  現地公立図書館大人向けESLクラス講師



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